長崎幸太郎が考える「真の政治主導」

真の政治主導に必要な「政治的勇気」

民主党政権の在り方については、「民主党政権の政治主導は財務省支配の壁に阻まれた」等の論調が一部マスコミで議論されていますが、私はこの手の議論に留まっている限りは「真の政治主導」には結びつかないと思います。

結論から言えば、民主党政権による政治主導への転換が失敗した本質は、構造的赤字財政の中でマニフェストに掲げられた新規政策に必要な財源を捻出するために求められる既存施策予算のカット=既存受益者への負の資源の配分という判断を行う「政治的勇気」を欠いていたことだと思います。要は財務省云々ではなく政治自体の在り方です。

確かに予算規模が増大していた時代、或いは反対に一律カットという時代には、財務省は芸術的とも言える調整能力を発揮しコンセンサスを形成してきました。しかしながら、このような財務省的調整は、政策の「選択と集中」が求められる現在では、そもそも機能しません。それは、「足らざるを憂えず、等しからざるを憂う」という我が国の国民的メンタリティーの下において、既存予算をカットして新規政策に充当することに対しては、既存受益者からの政治的反発は尋常一様ではないからです。
これを乗り越える為には、財務省による"テクニカル"な調整では到底及ばず、国権の最高機関たる国会が多数決による議決を以って行うほかありません。言葉を換えれば、負の資源配分は、唯一、民主的正統性を有する国会の所作=政治の仕事なのです。

民主党政権の「失敗の本質」

それ故にこそ、民主党もマニフェストで「既存予算をカットし16.8兆円の財源を捻出する」とし、そのために鳴り物入りで「事業仕分け」を行ってきたものではなかったのでしょうか?
結局、この事業仕分けが重箱の隅の瑣末な案件に集中し、社会保障や地方財政という本丸の議論に踏み込めなかったこと、踏み込む覚悟と勇気を欠いたことこそが、民主党政権の失敗の本質であると、私は考えています。

「殺されてもいい」覚悟と「命を賭ける」勇気

勿論、このことは、民主党政権だけではなく、(私自身参画していた)自民党政権にも共通しますが、支持率低下を恐れて、負の資源配分という苦しい仕事=政治の本質的仕事から目を背けるが故に、にっちもさっちも行かなくなり、消費税増税という最大の負の資源配分に追い込まれたことは、忸怩たる思いを禁じ得ません。
党派問わず、政治家たるもの「殺されてもいい」覚悟で「命を賭ける」勇気をもって、国のため子どもたちのため、事に当たりたいものですし、そういう覚悟と勇気を持つ存在になって参りたいと思います(反省と自戒を込めて)。


Comments are closed.