いわゆる「保育園落ちた」ブログに思うこと

【根はもっと深い ~ いわゆる「保育園落ちた」ブログに思うこと】

 先般、国会でも話題となり、今も反響がやまない『保育園落ちた!」ブログ。
 これが国会でも取り上げられ、政府も保育士給与の引上げ方針を打出すなど昨今の待機児童問題がクローズアップされる切っ掛けとなりました。

 ブログに用いられている言葉使いの是非はさておき(私には、差し迫った悲鳴としてストレートに響きましたが。)、私は、この問題、待機児童問題にとどまらず、もっと根が深い問題を孕んでいると思っています。

 待機児童問題=保育所不足となると、これは都会的な問題にとどまるのかもしれません。地方では、子供不足から、むしろ保育所の経営が心配されている位ですから。

 しかし、私には、このブログの書き主、というより、このブログに多くの方々が共感を覚えられた背景は、忍び寄る生活苦ではないかと思えてならないのです。
 ブログには続けて「どーすんだよ、このままじゃ私、活躍できないじゃないか」との旨が記載されていますが、これが「どーすんだよ、このままじゃ私、『生活』できないじゃないか」というのが本音に思えます。

 すなわち、昨今の(非正規社員が増加した)雇用情勢から、もはや夫婦二人で働かざるを得ない 
 ⇒子供を預けざるを得ない 
 ⇒でも、預けるところがない(核家族化と保育所不足)
 ⇒働きに出ることができない
 ⇒生活できない

 偉い先生方がおっしゃるような「親の責任感」の問題でカタ付けられる問題でしょうか。0-1歳の幼い子供を施設に預けることに拒否感はあっても、そうしなければ生活ができない、という状況がありうることに、政治はもっと敏感になるべきと考えます。
 

From 衆議院議員 長崎幸太郎Facebookより


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